諏訪大社 上社 前宮
※赤丸は御柱の位置
諏訪の神が最初に鎮座したといわれる聖地。前宮は本宮の東約2キロにあり、室町時代中期に神殿が現在地に移転され、今は祭典に必要な建物だけが残っている。三法を山で囲まれ、北東に傾斜した扇状地に位置する。本宮や、下社に比べると素朴なたたずまいに見える。
諏訪大社 上社 本宮
※赤丸は御柱の位置
所在地:諏訪市中洲神宮寺
本宮は、1500年~2000年前成立。 重要文化財。神体山とされる守屋山の麓、静かな原生林をバックに鎮座する本宮。大鳥居のある参道から境内に入ると「一の御柱」があるが、左の鳥居のあるほ うが本来の入口である。鳥居から伸びる道の先は前宮に続いている。本殿を持たず、幣拝殿の左右に片拝殿が横に並ぶ独自の形で構成され、諏訪造りといわれ る。この特殊な社殿の配置には、この地に息づいたさまざまな祈りの歴史が潜んでいる。現在の幣拝殿と片拝殿は江戸時代天保期に建てられた。
御柱祭の手順(上社と下社の違い)
長野県の山
長野県の七大盆地
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長野県の三大山脈
- 飛騨山脈
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温泉と御神渡り(作成途中)

とおいとおいむかしの諏訪は、とってもすごいところのようでした。いたるところにジャングルのような藪が茂り、猛獣や毒蛇などがのさばり歩き、人間なんかとうてい住めないようなところでした。
こんなひどい諏訪を、今のように大変暮らしやすい諏訪のもとを作って下さったのが、お明神さまのタテミナカタノミコト(諏訪市中洲神宮寺 諏訪大社上社)と女神のヤサカトメノミコト(下諏訪町 諏訪大社下社)のおかげだといわれています。
お明神さまはとても立派な方でした。見上げるような高い背、髪の毛をみずらに玉に巻き、真っ白い麻の服を着て、首には青や紫の玉をつけていました。じっと澄んだまなこ、そのおおしさ・・・・老若男女の誰もが、息をのんでひきこまれるような方でした。
奥 さんのヤサカトメノミコトも、このうえない美しい方でした。長い黒髪を真ん中で分けて背中にたらし、山吹の花を巻き、真っ白い服に燃えるような赤い帯を結 んでたらしました。首には首玉、耳に耳飾、手には手玉をつけ、雪のように白い肌・・・・まるで湖の精のような美しさ。また、奥山の女神のように奥ゆかしい 方でした。
この二人の神様は、家来の神様と力を合わせて、荒れ果てた土地を切り開き、稲や粟などを植えさせました牧場を作って馬を飼わせ、また丸木舟をこしらえさせて、魚の採り方を知らせたりしました。それから、桑の育て方、蚕の飼い方、機織などを伝えました。
このような努力の甲斐あって、諏訪は寒い国ではあっても、海の幸や山の幸に恵まれて、住みよい楽園になりました。その上、二人の神様は、うんとむつまじく暮らし、この諏訪の地は、いよいよ明るく楽しい平和な国となりました。
二人の神様は仲良く暮らしていましたが、あるときちょっとのことで大喧嘩をしました。
「わたし、でていくわ。」
女 神は怒って御殿を飛び出しました。そして、いろいろ日常使うものといっしょに、お化粧の湯を綿にひたして、湯玉にいて出て行きました。神宮寺の岸から、舟 にお乗りになって、どんどん舟を漕ぎ出しました。湖の北の下諏訪にさっさとうつって住みました。ところが、あわてたので、途中で綿に湿したお化粧の湯の雫 が、ぽたりぽたりとところどころへ落ちました。するとどうでしょうか。この雫の落ちた土の中からあっつい水―温泉が噴出したのです。
今、神宮寺か らてんてんと一直線に、下諏訪まで温泉が湧き出ているのがそれです。飯島や赤沼は、ぽつりとひとしずくしか落ちなかったのでぬるく沸き、たらたらとこぼし た田宿、湯の脇、大和からは、あったかいお湯が沸きました。また、綿を置いて休んだところ――小和田からはどくどくとたくさんのお湯が出ました。下諏訪に お着きになって綿を捨てた所が綿の湯で、ここがもっとも多くしかもあっついお湯が湧き出ました。
さて、女神に出て行かれたお明神さまは、神宮寺にのこって仕事の指図をしていました。でも、冬になると仕事がなくなりました。女神に会いたくてたまらなくなりました。見ると諏訪湖一面は厚い氷に覆われていました。向こう岸の下諏訪が見えました。
「そうだ。氷を渡って女神に会いに行こう。」
お明神さまは、真夜中、どんどんと氷の原っぱを走って渡りました。
「ダダダダ・・・・ガアーン。」
も のすごい大きな音がして、厚い氷が裂けました。次の日の朝見ると、小高く盛り上がった山脈が、お明神さまの通った神宮寺から、ずぅっと諏訪湖の真ん中を横 切って、下諏訪の女神のところまで続いていました。この二人の神様は仲直りをしました。そして、お明神さまは冬の間は女神と過ごしました。
それからあと、毎年冬になって諏訪湖が凍って、4、5日たつと、お明神さまは氷の原っぱを渡って女神に会いに行きました。するとやはり、通ったあとに氷の山脈ができました。
「御神渡りだ。お明神さまがお渡りになった。」
みんな言い合いました。そして、春になると氷の山脈もいつかなくなり、白一色だった湖の上に、まわりの若緑が映りました。
「おお、お明神さまがお帰りになった。」
と、みんな語り合いました。今でも、冬になって諏訪湖一面に凍り、4、5たつと、御神渡りがあります。
こんなひどい諏訪を、今のように大変暮らしやすい諏訪のもとを作って下さったのが、お明神さまのタテミナカタノミコト(諏訪市中洲神宮寺 諏訪大社上社)と女神のヤサカトメノミコト(下諏訪町 諏訪大社下社)のおかげだといわれています。
お明神さまはとても立派な方でした。見上げるような高い背、髪の毛をみずらに玉に巻き、真っ白い麻の服を着て、首には青や紫の玉をつけていました。じっと澄んだまなこ、そのおおしさ・・・・老若男女の誰もが、息をのんでひきこまれるような方でした。
奥 さんのヤサカトメノミコトも、このうえない美しい方でした。長い黒髪を真ん中で分けて背中にたらし、山吹の花を巻き、真っ白い服に燃えるような赤い帯を結 んでたらしました。首には首玉、耳に耳飾、手には手玉をつけ、雪のように白い肌・・・・まるで湖の精のような美しさ。また、奥山の女神のように奥ゆかしい 方でした。
この二人の神様は、家来の神様と力を合わせて、荒れ果てた土地を切り開き、稲や粟などを植えさせました牧場を作って馬を飼わせ、また丸木舟をこしらえさせて、魚の採り方を知らせたりしました。それから、桑の育て方、蚕の飼い方、機織などを伝えました。
このような努力の甲斐あって、諏訪は寒い国ではあっても、海の幸や山の幸に恵まれて、住みよい楽園になりました。その上、二人の神様は、うんとむつまじく暮らし、この諏訪の地は、いよいよ明るく楽しい平和な国となりました。
二人の神様は仲良く暮らしていましたが、あるときちょっとのことで大喧嘩をしました。
「わたし、でていくわ。」
女 神は怒って御殿を飛び出しました。そして、いろいろ日常使うものといっしょに、お化粧の湯を綿にひたして、湯玉にいて出て行きました。神宮寺の岸から、舟 にお乗りになって、どんどん舟を漕ぎ出しました。湖の北の下諏訪にさっさとうつって住みました。ところが、あわてたので、途中で綿に湿したお化粧の湯の雫 が、ぽたりぽたりとところどころへ落ちました。するとどうでしょうか。この雫の落ちた土の中からあっつい水―温泉が噴出したのです。
今、神宮寺か らてんてんと一直線に、下諏訪まで温泉が湧き出ているのがそれです。飯島や赤沼は、ぽつりとひとしずくしか落ちなかったのでぬるく沸き、たらたらとこぼし た田宿、湯の脇、大和からは、あったかいお湯が沸きました。また、綿を置いて休んだところ――小和田からはどくどくとたくさんのお湯が出ました。下諏訪に お着きになって綿を捨てた所が綿の湯で、ここがもっとも多くしかもあっついお湯が湧き出ました。
さて、女神に出て行かれたお明神さまは、神宮寺にのこって仕事の指図をしていました。でも、冬になると仕事がなくなりました。女神に会いたくてたまらなくなりました。見ると諏訪湖一面は厚い氷に覆われていました。向こう岸の下諏訪が見えました。
「そうだ。氷を渡って女神に会いに行こう。」
お明神さまは、真夜中、どんどんと氷の原っぱを走って渡りました。
「ダダダダ・・・・ガアーン。」
も のすごい大きな音がして、厚い氷が裂けました。次の日の朝見ると、小高く盛り上がった山脈が、お明神さまの通った神宮寺から、ずぅっと諏訪湖の真ん中を横 切って、下諏訪の女神のところまで続いていました。この二人の神様は仲直りをしました。そして、お明神さまは冬の間は女神と過ごしました。
それからあと、毎年冬になって諏訪湖が凍って、4、5日たつと、お明神さまは氷の原っぱを渡って女神に会いに行きました。するとやはり、通ったあとに氷の山脈ができました。
「御神渡りだ。お明神さまがお渡りになった。」
みんな言い合いました。そして、春になると氷の山脈もいつかなくなり、白一色だった湖の上に、まわりの若緑が映りました。
「おお、お明神さまがお帰りになった。」
と、みんな語り合いました。今でも、冬になって諏訪湖一面に凍り、4、5たつと、御神渡りがあります。
川だっておしゃれがしたいのっ

↑ これは、家の目の前にある川。舟渡川と言って、諏訪湖に水を注いでます。
昨日の画像の諏訪湖と同じで、やっぱり氷が張っています。
こ れは、表面の雪が、太陽の光で溶けていく様子の写真ですが、きれいなまん丸でおもしろいなと思って撮ってみました。表面に少しでも黒いものがあると、そこ に太陽の光が集まって、徐々に徐々に熱が外側に伝わっていくそうです。それで、こんなおしゃれなドット柄の模様に。。。笑
↓ちなみに、ドットが増えすぎると・・・・・・

う~ん、気持ち悪いかも・・・
太陽の光の力は偉大なもので、あっという間にこの模様は消えてしまいましたがね
御神渡り

↑ 本日の諏訪湖。全面結氷して、その上に雪が積もってます。知らない人が見たら、おそらく湖とは思わないでしょう。。。昔は、人がたくさん乗っても割れないほど氷が厚く、スケートなんかしていたようですが、今はちと危険です。

↑ これが、今できてる御神渡り。画像悪い&アップできなかったため、こんな写真しか撮れませんでした。氷の上に雪が降ってしまうと、意外なことに 雪が毛布の役割をしてしまうので、氷が解けやすくなってしまいます。写真のとおり、今年の御神渡りはちょっと迫力不足ですね。
甲州街道の終点は下諏訪
- 甲州街道は、下諏訪が終点。
- 現在は国道20号線。
- 江戸に万が一のことがあった場合に、直ちに脱出できるようにまっずぐの道を建設。
- 街道の町民には武道を許しました。近藤勇、土方歳三の新撰組はこのようにしてうまれました。
- 下諏訪でじゃ甲州街道は中山道と合流します。
- 中仙道は東京―軽井沢―下諏訪―塩尻―草津―京都を結んでいます。
- 新宿御苑は、高遠藩の内藤家の屋敷跡で、中に新しい宿場が設けられたので、内藤新宿といいます。
甲武信ヶ岳の水は、甲州、武州、信州へ
八ヶ岳と富士山の伝説
富士山は女の神様ですが、たいそう威張ることが好きでした。いつもまわりの山に向かっては
「見たところ、私が日本一高い山のようですね。雨でも雪でも自由に降らすことができますと、えへん」
と、高い鼻をツーンとさせて、得意になって自慢していました。
ある日のことです。突然遠くから、
「日本で一番高いのはこのわしじゃ」
と、ごぶとい声が飛んできました。それは雲の上へ、ちょこんと頭をだしている八ヶ岳の男の神様でした。
「いいえ、わたしです」
「いや、わたしじゃ」
富士山と八ヶ岳は、お互いに自分のほうが高いんだと言い張って一歩も引きません。
こんなことが5年も10年も続きました。この様子をごらんになった阿弥陀如来様は、
「神様同士が争いをするなんて、本当に困ったものだ。」
と、顔をしかめました。そこで、富士山から八ヶ岳まで長いトイをかけて、水を流すことにしました。水は正直ですから少しでも低い方に流れます。
さっそく阿弥陀如来様はトイを作りました。トイは富士山のてっぺんから八ヶ岳の天峰まで掛けられ、真ん中から水が流されました。富士山と八ヶ岳の神様は じっとみまもりました。さあて、水はどちらへ流れるでしょう。あっ!水はピシャ、ピシャと音をたててどんどんと富士山の方に流れていきました。
さあ大変です、富士山は黙っていません。
「そんなことがあるものか…。」
富士山は女の神様ですが負けず嫌いでした。
「ああ、くやしい」
いきなりありったけの力で八ヶ岳山をけとばしました。ガアーン!天も地もこわれてしまいかと思われるほどの、すごい音がしました。ザア、ザア、ザア、ガラ、ガラ、ガラ。
八ヶ岳は山頂から崩れ落ちました。そして、何日も続いてやっと止まりました。そのために、八ヶ岳は八つに裂けて、富士山より低くなりました。
諏訪湖は天竜川の一部
- 都側を上諏訪といいます。
- 上社の建御名方(たけみなかた)は、下社の八坂刀売(やさかとめ)に湖面の氷を伝って会いに行きます。御神渡り(おみわたり)といいます。
- 御神渡りの記録は14世紀から続いていて、農作物の成育状況も記されています。世界最古の気象記録です。
八ヶ岳
八ヶ岳は、諏訪地域と佐久地域と山梨県の境にある山です。南北30kmあまりの山体で、大火山群である。日本百名山の1つ。
「八ヶ岳」は山が8つあるという意味ではなく、たくさんの山が連なっているという意味から「八ヶ岳」と言われる。一般に八ヶ岳と言ったとき、それは主に、赤岳、天狗岳、横岳、硫黄岳、阿弥陀岳、編笠山、権現岳、西山の8つを指す。
「八ヶ岳」は山が8つあるという意味ではなく、たくさんの山が連なっているという意味から「八ヶ岳」と言われる。一般に八ヶ岳と言ったとき、それは主に、赤岳、天狗岳、横岳、硫黄岳、阿弥陀岳、編笠山、権現岳、西山の8つを指す。
長野県4地域と中心都市
- 北信と東信は旧長野県
- 中信と南信は旧筑摩県
諏訪地域6市町村
- 諏訪地域は、東京からも名古屋からも200キロのところにあり、東京の影響ばかりでなく、名古屋の影響も受けています。
- 東側に八ヶ岳連峰をひかえています。
8県に囲まれている長野県 ys
・ 長野県は8県に囲まれています。
・ 日本で一番多くの県に囲まれている県である。








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